事実と意見と客観性

ペパボはこの時期評価資料でみんな忙しい。

ペパボの評価制度、厳密には職位制度については昔、下記に書いた。

ペパボの評価資料はあくまで評価資料ではあるのだが、技術文書としての側面もあるので、記述内容が事実なのか意見なのか、またそれは客観的に正しいのか?という面も評価される。

特に辞書とかを引くわけではなく、それぞれに付いて考えてみた。

  • 僕は足が速い

これは本人の主観に基づいた意見であり、事実かどうかがわからない。

  • 僕は100mを10秒で走る

これは測定器が壊れていない、または追い風200mとかじゃない限り、事実と言えるだろう。

  • 僕は100mを10秒で走る、30代男性の平均記録は 15秒36 だ

これは平均記録からみて圧倒的に足が早く、30代男性の平均記録と比べることで、客観的に早いと言える。要するに、事実と比べるなにかがあって初めてそれは客観的事実と言える。事実だけだと主観の域を出ないことも多い。

  • 僕は昨日、朝7時に早起きした

これはどうだろうか?僕から見るとはぇぇぇって感じだろうけど、毎朝4時に起きる人から見たらおせぇぇぇぇってなる。

自分はすごい、高い能力がある、これを3日で終わらせられるというような話は実は意見の域を出ていなくて、事実、そして妥当性のある指標と並べて初めて客観的事実と言える。

また技術文書になぜ客観的事実が必要なのかというと、それは技術を広める、つまり影響を広げるにあたり、客観的事実を元に述べることができないと誤った内容を伝えてしまう、情報の伝達コストが高くなるからだ。後者については、例えば「足が速い!」という情報だけを受けた、受け手は送り手が足が早いのかをわざわざ検証するかもしれないし、送り手が足が早いと思い込んだまま、世界陸上の応募フォームに変わりにサブミットしてしまうかもしれない。

いざ自分ごとにすると、これが意見、事実、客観的事実なのかをずっと考えながら文章を書くのは難しい、しかし、難しいがゆえに一日にして成らず、こういったことも普段から研鑽しておかねばならないから、もうほんとに大変、ポテチ食べて寝たい。