物事を正しく恐れるということ

こんなことを言ったことはないだろうか?

「よくわからないから、やめておきます」

「んー、ちょっと何が起こるかわからないんでやめましょう」

「なんとなく怖いのでやめてもらえますか」

僕は言ったことがあると思う。そしてこれらの発言は、正しく恐れていないことが多い場合に口から出るものであると思う。

時によくわからないことをやめる、中断するということは正しい判断になる。一方で、よくわからないことをよくわからないままにしておき、そしてよくわからないことの結果にあるベネフィット を測ることなくこれらの発言をしてしまうことは良くないことだと思う。

それはなぜかというと、よくわからないことをよくわからないまま意思決定をしているということは、それらのリスク、ベネフィットを正しく判断できないまま、情報不足での意思決定をしているからだ。その結果、良くない決定を下してしまうことは少なくないと思う。

これを極論にしたのがよく耳にする、

「車は人身事故を起こしてしまう可能性があるから、乗るべきではない」

「包丁は手を切る可能性があるから使わない」

こういった例だ。人身事故を起こしてしまう可能性、手を切る可能性またはリスクと、これらの道具によって得られるベネフィットを無視した、非合理的な話であると思う。

これらの極論は普段の僕たちの暮らしとかけ離れたように思うが、実はこういったことは日常にもたくさんある。

よくわからないことをやらない、リスクがわからないことをやらないのは正しい。しかし、そのリスク、ベネフィットを測ることを試しもせずにやらない、やめるということは人類の進歩を止める考え方だと思う。

時に自分では測れない、わからないリスクや可能性もあると思うが、その時に分る人間を頼るというのもとても大事なことに思う。何も人は一人で生きているわけではないから正しく恐れることには正しく頼るということもセットになることが多い。

そんなことを風呂に入りながら考えていたのだが、僕の口癖は

「んー、よくわからんけどやってみたらいんじゃん?」

なので、全くリスクを測らず、人や自分に飛び込ませることがあるので大いに反省した。