強制力を持って自分の幅を広げる大切さ

今までの人生で3つくらいの強制的な変化をしてたと思うのでそのことについて書く。(急にこういうことを書くのは社のあれこれへのメッセージも含んでいます)

まずは1つ目は、大卒になったことだ。

僕は鹿児島県の商業高校を卒業したあとに、地元にあった上場企業のプラズマテレビを作る工場で工場設備の保守部門の交代制従業員として2年程度働いて、その後、異動して情報システム部門で1年程度働いた後、工場が閉鎖になったので、福岡のQTnetという会社に入社した。それとほぼ同時に、通信制の大学に通うことにした。その理由の一つは、家電メーカーなどの大企業は大卒かどうかで給与も違えば、人事のラダーも違う。そういう学歴区別(差別と言ってもいいかもしれない)に近いことを体感したから。もう一つは、自分の人間としての知識、経験の幅を広げたかったことだ。

僕の地元の友人は、大学進学した人は少ないのだけど、自分が鹿児島にいるころから、当時、福岡にいた友人を介して、OLや大学生をナンパする機会が多くあった。そういうふとした経験のなかでも、地元の友人との差もあり、この人たち色々知ってるなあ、完全に自分より面白い人生なんだろうなぁとぼんやり思うことがあって、そういうのを僕は人としての幅と捉えて、大学にそれを求めた。

大学に行くと、自分の興味のあることから、興味のないことまで強制的に多くの学習を強いられることになる。それが結果的に自分の知識、経験の幅を大きく広げてくれたと思う。皮肉にも授業の前日に合コンをセッティングしまくり、朝寝坊して留年するという快挙も遂げたのだが、それも含めていい経験だった。

2つ目は、プログラマーになったことだ。

先にあげたQTnetではDNSやメールシステムをSierと協働して、ISPに導入することを仕事としていた。多分、今振り返ってもpostfixやISC Bindは結構詳しく、ネットワークのルーティングプロトコルの挙動など、それなりに知見を持っていたと思うし、とても楽しく、探究心を持って仕事をしていた。

しかし、当時一緒に作業していたIIJのエンジニアが、僕たちが手でぽちぽち確認作業するような内容を、当時聞き慣れないperlという言語で実装されたプログラムで、ものの数秒で確認するのを見て、ビビッっと来てしまい、それからperlの本を買い漁り、ペパボに入社した。そのときに感銘を受けた「モダンperl入門」の著者である、牧さんと出会い、カンファレンスに登壇させてもらったり、ペパボと同じ時期に受けたLINE Fukuokaの方と、カンファレンスの基調講演と招待講演で対バンになったりするような感動エピソードもあるのだが、ここでは割愛します。

プログラマになってから数年はPHPやRubyをとにかくオレオレ実装しまくり、誰も使ってくれないOSSをとにかく書いて、ブログに書いたり、登壇を重ねてきた。(それは今でもあまりかわらないかも)

こうしてプログラマーになったことで、僕のキャリアの土台である、サーバインフラ、ミドルウェアの知識や、ソフトウェアのパフォーマンスに対する解像度はめちゃくちゃにあがったと思う。自分の興味領域の外に飛び出し、そこから得る知識、経験は今の僕のエンジニアとしての能力に大きく貢献している。

3つ目は、尊敬する仲間と働き、新たな人と出会い、そこから学ぶことだ。

今は同じ会社で働いてはいないけど、@matsumotoryからはngx_mrubyを介して、色々なローレイヤーのコードに取り組む機会をもらえたし、C言語を通してLinuxのパフォーマンスの問題にアプローチしていくための手段を多く教えてもらった。また @hiboma はいまでも社のカーネルに関連する問題が起きるたびに、どこからともなく現れて、解決していく。@hsbt からは色々訓示をもらったり、なんだかんだいろんなコミュニティーと繋げてくれたのも @hsbt だった。(最近気づいた)

他にも @udzura や @k1low など、あとあんちぽさんとかも、色々な人とつながり、模倣したり、学び、得ることで成長してこれたように思う。

最後に、強制的であれ偶発的であれ、変化というのは、現状維持バイアスの面に立つと、ネガティブに感じることが多い。それは不安かもしれないし、知らないことを怖いと思っているのかもしれないし、本当に嫌なのかもしれないし。ただ僕、個人としては変化は上手いこと自分が乗れたら自分の枠を超える大きなチャンスだと思うので、先人に学び、相談したりして、チャンスにしていくといんじゃんかなって思う。