最近感じた倫理とか論理とか正義とか

この連休、いろんな人とか、場面があって思ったことがあった。

インターネット

近年、4Gの普及や、スマートフォンの廉価版、リセールが増えたこと、SIMの利用料金の低価格化で一気にインターネットにいろんな人が増えたと思う。それに伴い、炎上と言われるような類のことや、人を傷つけることを意図した誹謗中傷のようなものがとても増えたなって感じる。その件について、このお盆で、自分の甥っ子とかとあって、その子たちが普段見るようなアニメや漫画ではいわゆるFワードに該当するような殺害を意味するようなワードや、罵倒するようなワードがかっこいい言葉として使われることもあり、つい使ってしまう局面も目にした。

うちの姉とかは、都度それを注意していたが、僕の時代は、そんなことを親に言おうもんなら、親父から鼻血が出ても目が腫れても殴られ続けていたので、良い時代になったものである。

脱線してしまったが、インターネットへのアクセスが容易なことは、とても怖くて、彼、彼女らは手元のスマホからインターネットにアクセスもできるしメールアドレスとかも持ってるので、いろんなSNSに登録できることから、普通にあったこともない人を傷つけられるし、またそこにいうほどの悪意がないことが多いだろうと思った。僕とかもよく小さい頃は友達とFワードのようなことを言い合っていたからそれがただインターネットになっただけみたいな感覚ってあるだろうなって思う。

現代において、漫画やアニメの真似をしているだけのことが、あったこともない人を傷つけうるということは起こり得るのだと、そう思った。そういう意味だと現代の教育は昔とは違う難しさもあるのだろうと思う。

おむつと大浴場と許す心

これはついさっきふと思って、帰結したのだけど、結構、僕が行くようなホテルや旅館で大浴場におむつ取れてない子供いることがあって、その子達って、自分の理性で尿意や便意をコントロールできないことがあるから、おむつをつけてるわけで、そのフェーズの子供を親が大浴場に連れてくるのって、我が子は風呂では大丈夫という思い込みか、謎にお風呂以外では尿意や便意をコントロールできない呪いを受けてるケースが多いと思う。それって論理的に破綻してるじゃん?って思ったんだけど、大浴場で子供が放尿しようが、脱糞しようが、大浴場はそもそも塩素とかはいってるし、希釈されたらほんとに誤差だし、むしろ子供が大きいお風呂に入れて嬉しいほうがいいじゃん?って思ったから、別にいいかって思った。

別に僕が優しく思われたいとかそういう話じゃなくて、よくよく考えて誤差の範囲のことであれば、反射神経で怒らずに、なるべく許せる方向に考えたほうがみんな嬉しいよなって、お風呂に入りながら思った。

バイアス

地元の友達と話してて、「あんまいまのところ子供作る気ない」って話たら、「お前、それ離婚とか不倫とかするつもりじゃん?」みたいなこと友達が言ってて、結構これは僕の地元の結婚観みたいなものが作用してるのかも?しれないなぁと思ったんだけど、結婚を支えるのが子供みたいな価値観って、人によってはあるよなぁって感じた出来事で、僕は、「いや、別に俺、幸せだし?」って言って終わったんだけど、自分の親の世代だけじゃなくて、僕らの世代でもそういう価値観を持ちうるよなぁって気づきがあった。僕自身もう若いとは言えない歳だけど、僕たちの年代は物心ついたときからインターネットあるし、そんな価値観になんないっしょ!!って思ってた部分があって、そうかぁって思ったんだよね。もちろん僕の友達は悪意もないし、本当にそう感じてるんだと思うんだけど、I was shockedって感じだったよね。

最後に

お盆休み、家族、地元の友達などなど普段会わない人々と会う機会が作れて、結構いいから大事にしようと思った。